disc reviewアライヨウコ インタビュー 2nd album 「優しい荒波」に寄せて
Tomo そういうところはなんというか、バックパッカー的なところはありますよね。お金を稼いでは旅に出てといったサイクルなのが。音源というと、ヨウコさんの作る音源って、最初のアルバムの紙ジャケや歌詞カードもそうですし、それ以降のダウンロードシングルにも、ただダウンロードコードだけではなく、コースターや漫画など、「モノとして持ちたくなる要素」がたくさん含まれているように思います。
ヨウコ そこには結構こだわっているものがあって。例えば私がもっと名前を知られているアーティストなら、その名前で私の音楽を手に取ってくれる人もいると思うんだけど、今の私だと、もっと音源自体に手に取りたくなるような工夫をたくさんしないと、みんな手を伸ばしてくれないかなという思いがあって。
Tomo 確かに、自分のライブを聴いてくれるだけでもとても嬉しいことですが、やはり音源を手間暇かけて作っている以上は、それを手元に置いて何度も聞いてもらうのが理想ですよね。
ヨウコ 私はモノにすごくこだわりがあって。紙の材質にもすごくこだわったり。自分でいろんなものを揃えて作るのって経費的にも削減できるし、後、ワンコインシングルなんかは、せっかくお金かけてしっかりした音源を作ったのに、それをただCD-Rに焼いて売るっていうのはなんかこう、寂しいというか、そういう気持ちがあって。それだったら、いっそ、ダウンロードコードをどれくらい人が買ってくれるのかっていうのにも興味あったし、いろいろ付加価値を付けて売っていこうって考えるのが楽しかったかな。
Tomo 音楽の話とは少し離れるんですが、漫画って読まれたりするんですか?
ヨウコ 漫画は、あまり読まないんだけど、私は結構、山本直樹とか、岡崎京子とかが好きで。
Tomo へぇ、山本直樹ですか!少し意外ですね。
ヨウコ 岡崎京子は、奔放な女の子を描くその描き方、山本直樹は、人間のこう、どうしようもない部分というか、そういった部分を書き出しているところが好きだなぁ。
Tomo 山本直樹って、どうしようもないというか、人間としての根本的な性的な部分を、まだ未熟に見える少年少女を題材に用いて、風景描写的に、淡々と描いている様が特徴的に思いますね。
ヨウコ そうそう、女の子も、かわいいし、絵も綺麗で、題材としてはエロいものなのに、それをサラッと書いてしまうようなところとか。
Tomo 音楽以外のインプットについても、やはりキーワードとなるのは生活感というか、我々の生活からそう遠く離れない、日常をどう描き出すかというところに重点が置かれているように思えますね。
Tomo 個人的な見解なんですが、もう今って、音楽を、ただ流通に流して全国へ展開する、という行為で売れていける時代は終わってしまったと思っていて。これからは、先ほども話にあった、モノにどうこだわるかということと、自分たちの手でどう売っていくかということがキーになると思うんです。そのためにはやはり、人と人とのつながりというのは切り離せないもので。ヨウコさんは、その辺りを大事に、音楽を続けている印象があります。
ヨウコ そうかもしれない。私もそれにずっと手応えは感じてやっていて、これまでのジャケットを担当してくれたイラストレーターのみんなは、色んな活動の中で私自身が直接出逢っていった方達で、そこから繋がってきて、今に至るところがあるかな。
Tomo 流通を否定するような話の直後で申し訳ないんですが、直近のシングルは、タワーレコード限定のシングルでした。この作品のリリースで何か得たものはありましたか?
ヨウコ まず、やっぱり私のことを知らない人が買ってくれたことは一番かな。あとはタワーレコード浦和店のスタッフさんがとてもよくしてくれて、そもそも限定シングルも、そのスタッフさんが私のライブを見て気に入ってくれて、こういう企画があると教えてくれて。これも人とのつながりのおかげでできたことかもしれない。
Tomo 今回こうして、インタビューが出来ているのも、そもそも最初は僕がヨウコさんのライブを見たことがきっかけで。そこに至るまでにも、ヨウコさんと僕との間にたくさんの共通の知人が関わっていて、それによって今日に至っているようなところがあるので、これにはヨウコさんが今までたくさん繋げてきた人同士の繋がりの一つの結果だと思うんです。改めて、今日はありがとうございます!
ヨウコ いえいえ!こちらこそありがとう。私のライブを見て書いてくれたトモヒロくんの文章は、私の音楽を私より遥かに上手に表してくれているなと思っていて、今回、新しいアルバムを出すタイミングで、トモヒロくんに何か協力してほしいと思って。弾き語りをやっていると、どうしても私の音楽のルーツのところまで、触れてくれる場が少ないので、そういう面でもピッタリだなって。
日常の浮き沈みがインスピレーションそのままみたいな
Tomo さて、ここまででかなり長くなってしまいましたが、そろそろアライヨウコという音楽についての話に移らせてください。僕がいつも感じているのは、生活との距離の近さ、すなわち生活感なんです。一人称、もしくは二人称視点で、日々に起こる出来事、頭を巡る由無し事を、息遣いもクロースに描写するような。
ヨウコ なるほど…。多分私は、「生活」をしているんだなって思う。人間の細かい浮き沈みが好きで。日常の浮き沈みがインスピレーションそのままみたいな。自分が結構小さなことを気にしてしまうのや、人間観察が好きだったり。自分自身の浮き沈みが激しいから、行く末がそこにある、という感じかな。人間ってどうしようもないことにつまづくけど、そういうとこにホロリと泣けるよね。
Tomo 歌詞はじっくりと書き上げていくタイプですか?ただの生活に親しみや息遣いを吹き込むためには、緻密に言葉を積み上げていくことが必要になるように感じるんですが。
ヨウコ いや…文章の推敲だったりはほとんどしない気がする。でも、日常的に言葉で書き留めるのが気持ちのやり場になってたりするから、こうやって歌詞として歌になる言葉の何十数倍かはつらつらメモみたいな言葉を書いているかな。ストレスが溜まったりすると、言葉を書くことでそれを発散するという癖があって。そうやって書き溜めた言葉から選び出して歌詞に使っているから、そう考えると文章を組み立てているのかも。
Tomo 僕が特に言葉選びで好きなのが、『漕ぐ』という曲の一節の「曖昧な空気が心をさらう前に、少しだけ急ごう」という一節で。前半部分の漠然とした語り口が、後半の「少しだけ急ぐ」という言葉で、スッと僕らの目線に降りてくるような感覚があって。
ヨウコ きれいにしすぎても、大きいことを言っても、嘘っぽいし、こうして喋っているような生活レベルで通じるものしか歌いたくないなって気持ちがあって。最大公約数にしようとすると、分かりやすいんだけど味がないし。あと、私は、私のことは私にしか分からないから、自分のことは自分で歌うしかないと感じることがあって。だから他人を励ますようなことは歌いたくなくて、「私はこうしています」っていうような曲が多いかな。あと、誰かから自分に言って欲しいことを、歌詞で言っているのかもしれない。
Tomo もう一つ僕がヨウコさんの歌で特徴的だなって思うのが、一人称として、「僕」を使っているところなんですけど。
ヨウコ あぁー、それは多分、銀杏BOZが好きだったのもあって。男の人にしか出せないあの男臭さみたいなものへの憧れがあって、男の子になりたいなぁってよく思ってたから、それも大きいかもしれない。
Tomo そこも僕がアライヨウコを好きになったところなのかもしれません。女性の書く歌詞って、時々ヒヤッとするほど生々しいことがあって、ちょっとドキッとしてしまう感じが苦手で。
ヨウコ あるよね、私はそういうのもそっと置いておきたいかなって。あんまり押し付けがましくしたくもないし、女の人が「私」っていうと自分の事を歌っている様な感じが出てしまって、「ぼく」っていう事でちょっと距離感をとれるというか湿っぽさが薄らぐ気がして。あとは村上春樹が好きで、自分の話なのにどこか他人事みたいな文体が好きで、そのぐらいの距離感が好きなのもあるね。
Tomo 今回の新しい音源、「優しい荒波」の収録曲は、生活のそばにあるような楽曲はもちろんですが、強い言葉や重い言葉を使った意味の重い楽曲も増えたように思います。この辺りはいままでと何か心境の変化があったりしたんですか?
ヨウコ まず、1stアルバム「波打つ果てまで」は、それまでの作ってきた歌のまとめというか、そういう意味が大きかった作品でした。それから2ndを作るにあたって、音楽をやめたいという気持ちや、抱える漠然とした「このままでいいのか?」という不安がちょうどアルバムの制作時期とぶつかって。私は落ち込むことが曲を書くきっかけになることが多いんだけど、今回は結構深く気持ちが沈んだ時期があったから、それゆえにそこから戻ってくるバネも強くて。そのバネの強さが歌詞に言葉の強さとして現れているのかなって思いました。あと、私の今までの歌詞はちょっと遠くから書いているつもりでいて。でもそれだと瞬発力がないから、目の前の人にすぐ伝わらなくて。ライブをしていて、見てくれている人はじっくりと歌詞と向き合っていないんだという気づきがあって、だからこそ強い言葉でグッと近づきたかったという思いもあったかな。