ベランダ

続き、登場したのは、京都からベランダ。「自動販売機の光、満月よりも弱い」というおぼろげな歌詞が印象的なロングトラック、”巨大魚の夢”。展開を繰り返し重ねながらそこに徐々に躍動感を吹き込んで行くのは彼らの得意とするところで、スローテンポが一貫される中すこしずつ温度感が高まっていく。8分近い演奏もあっという間に感じる没入感のある曲だ。次の演奏は、まだ名前もついたばかりの新曲、”早い話”。2本のギターが軽妙に絡むギターリフが、彼らにありそうでなかった要素で、聞いていて気分も浮かんでくるような気持ちになれる曲だ。

Gt/Vo.の高島はMCで多くを語ることはせず、淡々とした印象を受けるが、彼の歌う歌はとても多くのことを語ってくれる。詩的な情景描写や言葉遣いに長けた詞は、やわらかい空気をまとい、会場で歌を聴く人々の目には、キラキラとした期待感が浮かび上がる。3曲目に披露されたアップテンポなサマーチューン、”Let’s Summer”はアップテンポながらも、”ワンダーランドの成れの果て”という歌い出しが、聞き手をドキッとさせるものがあり、キャッチーな曲との対比が、僕たちをより一層彼らの魅力へと引き込んでいく。

”海になれたら”は、iTunesで配信されているシングル曲で、Let’s Summerとはうってかわったスローテンポで、ささやくような楽曲だ。アップテンポが観客を惹きつけやすい、ライブという場で、こういった楽曲を聞けるところが、彼らのライブの嬉しいところだ。

「大事な歌をやる」という言葉とともに始まるのは”最後のうた”。丸みのある諦念をはらんだイントロのフレーズが始まると、観客は静かに耳を傾ける。そして、次第に高揚していく楽曲とともに、ほころんだ表情と、自然に動き出す体。胸が苦しくなるような切ないメロディは、ライブでこそ映える。そして、最後は”お互い様”。ここまでの静かな雰囲気を、最後の1曲でグッと持ち上げて、ライブ会場を温めていくような曲で、思わず声を合わせて歌いたくなるメロディに心が弾んでしまう。40分という時間を幾倍にも引き伸ばしたように感じられるような、濃密な時間の余韻を後に、彼らはステージから去っていった。

tomohiro

続いては名古屋初ライブ、京都のベランダ。仄かに優しく、仄かに虚しいフォーキーなメロディ。ノスタルジックに掻き毟られそうになるサウンドは、そのまま古都の情景と重なってしまうかのよう。メロディとコードの絡ませ方が特に見事で、双方が双方に依存しているかのような、どちらか一方だけを手繰り寄せようとしても、自然ともう一方の気持ち良さが伴ってくるような見事な楽曲構成に惹きこまれた。

スローテンポながら少しずつ高まる熱量に自然と気持ちが高揚していく「巨大魚の夢」。後で8分超えの楽曲だと聞いた時には驚いた。繊細に組み立てられたサウンドを気持ちよく追いかけているうちに、時間の経過を忘れていたのだ。キャッチーなサビが聴けた「Let's Summer」も凄まじかった。「ワンダーランドの成れの果て」「要領の良さを恨みたくなる時はあるけど」などの印象的なフレーズが、印象的なメロディと完璧なコードワークを伴ってやってくる。サビがキャッチーと書いたが、Aメロの入りから暖かみとノスタルジーの共存する見事なメロディを聴かせてくれた上での事である。そしてその楽曲の持つ魅力を十分どころか十二分に伝えてくれる歌唱、演奏、ステージング。あまりの完璧さに思わず笑ってしまった自分を見ていた人が居ないことを祈りたい。

「ハロー、ノスタルジー」というフレーズが印象的な「海になれたら」に心地よく体を揺らしたあとは、彼らの代表曲「最後のうた」。切なくも朧げな光を感じさせるサウンドが会場を包み込む。熱量が抑えめで、決して明るい曲ではないにも関わらず、彼ら特有の優しさがじんわりと体に染み渡る。この楽曲がキラーチューンとして成立すること自体が、彼らの音楽の凄まじいところであると改めて確信した。最後は再びアップテンポの「お互い様」。やはり少しの虚しさを滲ませつつも高揚感のあるサウンドで、同郷のGueへと襷を繋いだ。

shijun