ジャズマスターが鳴った後に

一番手、一番槍。先陣を切るために必要なのは、鋭敏な感性と、エネルギー。そして、後に続くように土地を耕す懐の深さ。まさに彼らにぴったりの役目だった。”優しい口角”は、その名を裏切る鋭角なイントロが印象的な曲だ。続く、活動初期からの、彼らの代名詞たる”レイチェルの言い訳”と合わせて、彼らの代表曲と言えるだろう。

そして、軽やかながらも憂いのあるイントロ。僕のお気に入りである、”踊らないこと”だ。彼らの持ち味は、やはり、ギターボーカル朝倉の、変則チューニングをうまく使ったメロディアスなフレージングで、それを中心に組み上がっていくリズム隊の動きも合わせて、三位一体なのだ。そのセンシティブな音楽性は、MCにも時折熱を持った言葉で現れる、彼らの、音楽に対する真摯な向き合い方から生まれたものだろう。自分がいいものを提示するために妥協を許さない。そんなストイックさが彼らの音楽にはある。

続くのは、”ベランダ”という楽曲で、ループするギターフレーズを曲に絡めながら、息を抜き差しし、歌い上げていく。曲の終わりとともに、響く、ズシリとしたドラムフレーズ。彼らにしては珍しくドラム先行で始まる、”崩れる均衡/叶わぬ邂逅”は、ドラムが非常に映える楽曲で、サビでの湧き上がる感情のままのようなドラミングは聞き手の心を揺さぶり立てる。

最後は、4月にリリースしたe.p.より、表題曲”ビコーズアイワズヤング”。終始メロウで、語りかけるようにして歌ったこの日の彼ら。初期衝動を経て、少しずつ、変わり始めている彼らが最後にビコーズアイワズヤングと言い残したステージには、確かな存在感があった。

tomohiro

一番手、ジャズマスターが鳴った後に。時に感情のままに炸裂するギターをはじめとする勢いのあるサウンド、Gt.Vo.朝倉の高らかに天を突くような歌声とBa.Vo.飯島のジュブナイルな歌声、そして若々しい見た目と実年齢、彼らのライブは確かに瑞々しい若さに溢れており、それは彼らの魅力でもある。しかしながら、彼らの最新音源のタイトルは”ビコーズアイワズヤング”である。彼らはその若さを過去のものと位置付けた。

彼らのライブを見る度に増していると感じるのは、音楽の持つ説得力である。そしてそれは若さとは背反するものである。初期衝動という言葉の存在がそれを物語っている。今回、彼らはメロウな、テンポ抑えめな楽曲を中軸に据えたセットリストを用意してきた。丁寧に紡がれていくギターフレーズと優しいメロディが絡み合う「ベランダ」や、儚さの奥に揺るぎない力強さを秘めた「ビコーズアイワズヤング」は、ライブ活動を重ねる中でバンドが獲得してきた説得力を伴うことで、より輝きを増して心に歌いかけてきた。

にも関わらず、なお彼らの音楽には「若さ」が伴い続けている。衝動的な、ある種無責任な若さではない、説得力と共にあれる「若さ」を彼らは確かに獲得しているのである。活動初期からの楽曲である、ポストロック的な聴かせるフレーズと、エモ由来の力強い若々しさが共存する彼らの代表曲「レイチェルの言い訳」を演奏し続けた彼らだからこそ、得られた境地なのかもしれない、そう思わせるライブであった。その説得力故か、ポップスとはやや縁遠いジャンルを下敷きにしていてもなお、メロディの粒がしっかりと立ち、ポップに聞こえてくる瞬間が多々あったことも特筆しておきたい。

shijun